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鼻息男って?
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「いやぁ、愉快愉快。」 新八 というわけで、第36回「対決見廻組!」から第39回「将軍、死す」までを観ました。 一口にまとめてしまえば、新選組は屯所を西本願寺に移し、組の内部も固まってきて、三倍以上の規模の見廻組に伍してゆけるだけの力をつけてはきたが、組の外部、特に政治情勢の変化が急すぎて、あるいは激しすぎて、その方針がますます凝り固まっていっている時期、と思います。象山先生が言ってくれたことで近藤さんがまだ覚えているのは「己の信じる道を行け」だけになってしまったのではないでしょうか。 ま、先を急がず、組の内と外を分けて書いてみたいと思います。 いきなり【わきみち】「それでは方々、ぬかりなくっ」というセリフが印象的な第36回「対決見廻組!」ですが、例の思考停止の佐々木さんが身分意識を露骨に表わして仰天でした。容保さんとの会見後、近藤さんに礼を尽くしていたあの姿はここでは見られません。土方さんの「400人」発言にカチンと来たのでしょうか、それとも「京都見廻組組頭勤方 佐々木只三郎」としてはあのように振舞うということなのでしょうか。さらに(ふられた捨助が犯人の)火事に伴う治安維持活動(消火活動はしてませんでした)では、伊東さんにたしなめさせた上に、見事な采配などと近藤さんを褒めさせられてもいました。 まず、組の内についてみてゆくと、隊士それぞれが「居場所さがし」「自分探し」に熱心になっている様子が目立ちます。 例えば、ついに世話する相手を失いかけた井上源さんは近藤周平の世話に居場所を見つけたようですし(誰かの世話に情熱を傾けるのは変わらない)、周平くん自身は嫡男としての重責や大石鍬次郎との対決に心穏やかではいられません。 沖田くんは体のこともあり女性には目もくれず日々の勤めに集中し始め(労咳でなければ"宝探し"の類いでもっと満足していたかもしれない幼さを残しています)、ジョー斎藤に近づいています。 ところがジョーの方は人殺しに躊躇するようになりました。河合耆三郎さんの事件では、近藤にできることがなぜできないと河合さんのために土方さんに意見までしたのに、その河合の介錯を谷三十郎が仕損じたとき咄嗟に飛び出して河合を救ったのは沖田くんでした(第38回)。そこには確実に人を斬る躊躇があります。さらに、お幸(元深雪太夫)から聞いてすべて事情を知りながらも浅野くんを逃がすばかりか仲間にウソまでつき、あまつさえそれを沖田くんに見破られるという描かれ方です(第39回)。突然の佐之助(呼び捨てが似合うなぁ)の結婚報告に驚きつつ、印象的な面構えの木像を渡す姿(完成品を持ち合わせるなっつ~の)、河合さん救援カンパの博打で佐之助と連れ立って身包みはがれている姿も忘れられません(笑わないだけで、やってることは佐之助とおんなじです)。 藤堂平助くんは、実質的な師(近藤さん)と形式的な師(伊東さん)に引き裂かれています。芹沢鴨さん存命の頃、彼は芹沢派の野口健司くんに向かって自分には命を捧げる相手が二人いると言ってました。伊東さんの名前はでてこなかったのですが、近藤さんの名前は一番に出してました。沖田くんへの成り済ましがばれて「俺も一緒に探してやる」で涙するあたりで近藤さんに"実質的な師"をみ、伊東さんの講義を宝探し程度で抜け出すあたりが"形式的な師"である意識のあらわれというべきでしょうか。 その伊東甲子太郎さんは、観柳斎(彼もなぜか呼び捨てが似合う)の参謀としての座を脅かしつつ(とはいえ歯牙にもかけていません)、ついに岩倉さんに接近しました(第39回)。中村有志さんの「胡散臭いなぁ~、実に」から「…あがりなさい」まで、最高です。このときには加納さんを同行させ、広島には篠原さんを同行させていましたが、深慮遠謀があるのでしょうか。武田観柳斎は、自分の居場所探しが嵩じて、河合耆三郎を死なせてしまいました。 また、ジョー斎藤が嫌がったその河合さんの介錯に谷三十郎さんが立候補してしまったのは、三十郎さんも組の中に居場所を探していたからこそでした。誰からも愛されていた河合さんの最期の場面で介錯を仕損じて苦しみを与えた三十郎さんが、これまでとは違って「あからさまに」蔑まれ、ついに組の中の居場所をあきらめて弟たちを連れて逃げようとするあたり、それどころか「斬られるより切腹を」というジョー斎藤の諭しを拒むあたり、三谷さんの描き方は彼のダメダメぶりを救いのないものにしています。 【わきみち】史実としては、谷三兄弟があれほどダメダメではないと解説が入っていました。どういう必要があって三十郎をドラマであのような人物に描いたかがよくわかりません。周平が一緒に逃げてしまっては井上源さんの居場所がなくなってしまうからでしょうか。そもそも池田屋事件直前に舛屋の土蔵を守りながら一番最初に逃げたことを不問にしているのはどうなんでしょうか、土方さん。尾関さんが一人で頑張ってたので、事情は明らかじゃないですか。 以上のように、隊士の誰も、組の外には目が向きません。組の内側に居場所を探す「自分探し」に夢中です。組の外に目を向けているのは、近藤勇と伊東甲子太郎だけです(この点は別に投稿します)。 沖田くんが醒ヶ井の妾宅へ赴き、土方さんのやり方が「いささか危うい (by 只三郎)」という趣旨で土方さんの組での孤立を指摘したのに対し、近藤さんは自分、沖田、井上源さんがいると応じます。沖田くんの指摘は「幹部と一般隊士のすきま」に注目したものだったのですが、近藤さんはそこに無自覚、ないしは気にしていないという描き方です。結局、松原忠司さんの情死事件で土方さんが表向き悪者になることをジョー斎藤は心配しますが、ここで土方さんはそれが望むところと応じました(第37回)。 さらに、河合耆三郎さんの件では、近藤さんが留守でなければ救われたのに「運がない」という感想を土方さんが漏らしたのに対し、先ほども書いたように、近藤にできることがなぜ土方にできないかという斎藤さんからの疑問がぶつけられます。「それは俺の役目じゃねぇ」という土方さんの答えは、完全に分業体制の意識です(第38回)。 その一方で、松原さんの事件の顛末では(斎藤さんの報告が不可欠でしたが)、松原・斎藤・土方それぞれの思いを受け止めたとかなんとか近藤さんが言っちゃってます。それが「鉄の結束と人を思う心」の同居なのでしょう。具体的には、平隊士向けに完全分業を装いながら、実際には幹部間の信頼関係を踏まえた集団指導体制という感じです。容保さんの命を受けた広島行きも、土方さんとの非公式会合のあとに公式の幹部会議がもたれ、伊東さんは随行、武田さんが居残りとなってました(第38回)。 このような非公式会合に参加できる「幹部」の範囲が、要するに試衛館生え抜きであって、なんとなく身分制に似てしまっているのが気になります。土方さんの孤立を救うのが「近藤、沖田、井上源」という近藤さんの答えが、組の外が自分の理解できない状況になっている(わけがわからない)ので、組の中だけは敵味方をハッキリさせたいという近藤さんの「思い」に呼応していそうで、心配です。 さて、山南さんに続き、誰にも望まれない切腹第二弾となってしまった河合耆三郎さんでしたが、そのことを表わすように、土方さん、島田さん、佐之助の三人とも慟哭し、ある者は柱に頭を突き、ある者は持っていた箒を折り、ある者は惚れた女のもとへ走りました(佐之助@お多福の様子が、おまさちゃんと結ばれる予感として描かれていたのでした)。 河合さんが50両を貸した理由は、武田観柳斎の心意気に打たれたということでよいのでしょうが、土方さんに「貸してない」と言って観柳斎を庇った理由はどうなんでしょうか。 ① 同郷だった松原忠司情死事件を初めとする、土方さんへの恐怖感 +② 土方さんに本を取られ、これまで以上に観柳斎の立つ瀬がなくなるだろうという予想 ③ なによりも、親元からの送金を当てにする心情 と考えればよいのでしょうか。 しかし、自分の紛失ということにして親元からの送金で補填するという河合さん自身の案については、自分の命を粗末にするという沖田くんの言い方が、残念ながら、あたっていると思います。 勘定方が紛失するという不行届きを自ら認めることがどういう意味を持つのかに考えが及んでいなかったと見えますし、その覚悟がなかった分「届かなかったら切腹」に勢いで同意してしまったように見えました。そして、何よりも、送金という「他人に依存せざるをえないこと」に自分の命を賭けてしまいます。米問屋の生まれだけに、送金の確実を信頼する度合いが高かったのかもしれませんが、父親が留守する可能性を考えなかったようです(あまりに残念なので、自分のオヤジが10日以上留守したことがなかったとはいわせないぞ、覚えてないのか、などと画面に向かって責めたくなりました)。 2月7日にはこの一件が漏れ、内々に処理できなくなります。2月9日には、漸く観柳斎が本を返品する形で救済しようと申し出ますが、60両で買おうという加納さんがいると知って返品しません。それを知ったからでしょう、11日に到って河合さんはついに観柳斎に貸したと白状します。 これを観柳斎が否定するところは、小物であるが故のワルの役(悪の平凡さ)の代表としての武田観柳斎の面目躍如ですが、すべては新選組の未来のためと言い切る武田さんです。彼としては、甲州軍学+西洋軍学で怖いものなしになり、それで新選組の役に立てると信じているからこその否定です。自分の居場所を確保することと、組の役に立てるという、この時点では強弁に近い自信が一致しているからこその、ギリギリの判断です。 河合さんはそういう観柳斎の気持ちを理解していたと思います。観柳斎と河合耆三郎を比べて河合さんを重いと考える島田さんに対し、河合さんは、観柳斎も新選組を思ってのことだからそこに優劣はない、優劣がないとすれば成り行きの通りにするしかないという趣旨で返事をしてい(たように鼻息男は聞き)ました。これは相当な覚悟です。 しかし、鼻息男が一番疑問に思ったのは、どうして切腹の時間を12日の夜に設定しなかったのか、です。ドラマ的演出で同じ日の夕方に飛脚がやってきただけで史実はもっと遅かったのかもしれませんが、それでも12日いっぱい待とうという判断がなぜなかったのか、不思議です。 切腹に反対する永倉さんに土方さんが山南さんの件を持ち出すのは当然です。もはや新選組においては、法度違反である限り、山南さんの死を無駄にしないためにも、誰にも望まれない切腹が決行されなければならなくなっているのです(それでも、本人は望んでいないとか、覚悟の度合いが違うとか、色々言えそうですが)。 【わきみち】山南さん以降、先に死んだ(死なせた)者に顔向けできないという理由が強い説得力をもつようになってしまいました。まるで、死者に拘束される思いです。偶然であろうがなんであろうがある立場にたってしまった以上、その立場に殉じた人たちを忘れない限り、別の立場へと歩み去ることはできません。これは忠義の問題とはまた別の、とても大事なことだと思いますが、まだちょっとよく整理できていません。 「佐之助・おまさの婚礼の宴@永倉邸」のおかげで救われた気分になります。姉さんかぶり(?)の井上源さんと平助が酢飯を扇いでいるのを遠くからいい加減に助けているつもりらしい土方さん。「お幸はそういうんじゃない(勇)」、「大阪へ返す(勇)」、「ほら拗ねちゃったぁ(新八)」、「源さんはもうしょうがないとして…(新八)」などのやりとり。また、こつね(おその)ファンとしては、お幸のことを知って近藤だけを醒ヶ井へ帰すおそのに「よくやったっ」と声をかけたい気分でした。 もうきっと新八が「愉快愉快」と言う場面はないのでしょうねぇ。[ー、] 「…眼鏡をかけた、うさんくさ~い、小柄なお人でしたわぁ。」
by gyou-ten
| 2005-08-20 13:08
| 仰天!、な「新選組!」
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