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重力のくびきを逃れられれば人は飛べる。
空を飛ぶことにどうしてこれほど人はあこがれたろう。 飛行機と自転車 日露戦争後の愛知の女子師範学校の話である。 春、三月、飛行機の飛ぶ姿を目の当たりにした少女は、 人がとらわれる、ということについて考えるようになる。 なにかをよく知らないがために、自由になれない。 それが師範学校に通うこの少女の嫌悪の対象になる。 「三河屋さんの娘さん、とうとう自転車を許されたようですよ。角を曲がるときなど、燕のように斜めになって。あれ、嬉しくって仕方ないのね。」(永井愛「見よ、飛行機の高く飛べるを」より)女子が自転車に乗るなど、という時代のようである。 和装で「またがる」のは不道徳とされたのだろう。 「自転車を許される」のである。 斜めになっても曲がりきれないくらいの疾走感が青春である。 知ることは、知らないよりもいい。 それがどれほど苦い真実をもたらそうとも。 春、三月、飛行機の飛ぶ姿を目の当たりにした少女は、 ほかならぬ自分自身がとらわれていたことに気づく。 ブランコ 「鞦韆(しゅうせん)は作者は明治32年(1899)年の生まれというから、 和装でのブランコはやはり不謹慎と言われた時代だろう。 飛行機で空に舞い上がる。 自転車で斜めに角を曲がる。 ブランコを高く高く漕ぐ。 ほんの少しだけ地面を離れる。 ほんの少しだけ空に近づく。 とらわれないことは、すがすがしい。 とらわれないこと、自由というのは、 頭で理解するだけではなくて、 身体で感じるものなのかもしれない。[ー、] [永井愛][見よ、飛行機の高く飛べるを] [三橋鷹女][白骨]
by gyou-ten
| 2005-05-21 07:54
| 華粋手帖
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