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(つづき)
Johnny Blue → ドカドカうるさいR&Rバンド ドカドカうるさいR&Rバンドは、ツアーの様々な光景を重層的に歌っていると書いた。 ・観客の目に映る舞台。 ・見えない舞台裏。 ・芸能者としての演者。 ・そして、演者自身。 このような視点の移動は、 「飲んだくれジョニー」から「Johnny Blue」への改作の過程で目立たない形で用いられ、 「ドカドカうるさいR&Rバンド」では、 ロックバンドのツアーを重層的に描くためにあらためて用いられている。 「Johnny Blue」と「ドカドカ」はあたかも兄弟のような関係にある。 どちらも「演者と観客、舞台裏、そして演者自身」という構図で描いていながら、 その構図の視点をどこに置くのかが大きく違っている。 「誰が観ているのかわからない(≒神)」型から、 「オレが観ているぜ」型に変えてある。 【わきみち】万が一のために言い添えるが、忌野清志郎が自分を神になぞらえているなどと言っているわけではない。それから、作者が意識的にやったことだと言っているわけでもない。歌のできあがりから推測して考えているに過ぎない。 Johnny "BLUE" このように考えてくると、アルバム"BLUE"には 移動する視点の置き場所それぞれに対応する歌があったのではないかと思えてくる。 たとえば、 ・「ロックン・ロール・ショー」では観客に見える舞台を、 ・「チャンスは今夜」では見えない舞台裏を、 ・「よそ者」では芸能者の哀しみを、 ・「多摩蘭坂」、「まぼろし」は演者自身を、 それぞれ歌っているかのように思えてくる。 そして演者自身は「Johnny Blue」に歌われるとおり、明日もまたどっかの街で唄う。 それは、芸能者の日常を「ドカドカ」とは違った視点から総合的に描いた歌である。 アルバム"BLUE"にはロックバンドの姿を様々な方角から眺めた歌が集まっており、 それらを束ねるような形で「Johnny Blue」がある、とみることができそうである。 「Johnny "BLUE"」である。[ー、] 【余滴】悪い癖だが、RCについて書くと、いつも誰かから叱られるような気がして、いいわけめいたことをくだくだしく書いてしまう。もう一回書いてしまう。 [忌野清志郎][RCサクセション][Johnny Blue][BLUE] 【忌野清志郎さんの歌・目次】
by gyou-ten
| 2005-05-26 07:06
| 忌野清志郎
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