前口上
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鼻息男って?
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(つづき)
ねがい 「口笛」は「口笛」でなければならないわけではない。 「歌声」にも、「話」にも、入れ替えることができる。 だって「口笛」に重点はないだろうから。 「あの人なら…」と歌われるのは、他の人は笑わない、 他の人にはわかってもらえない、と思っているからだ。 「あの人」は主人公の全てを受け容れ、 主人公の何ものをも否定しない人である。 この歌の重点はおそらくそこにある。 そういう人物を簡単に言い表すために、 ここでは「母性」と表現することにする。 こうした「母性」を体現した人物を尊ぶとき、 そのほかの人物はどうしてもかすんでしまう。 そんな人物に比べれば誰だって役不足だ。 聖母のような存在だもの、仕方ない。 そして「あの人」という呼び方はふさわしいかもしれない。 その遠さにふさわしい。 「きっと」と歌われる。 あの人の不在感がにじむ。 「かわいい」と歌われる。 主人公の抱いている親近感ゆえだろう。 あの人は、主人公にちかしくて、とおい。 あの人は、主人公のそばにいて、いない。 この歌の響きがどこか虚ろで、やるせないのは、 主人公が何かを諦めたうえで願っているからだ。 聴いている限り、それが何なのかハッキリとはわからない。 だから、ここではある理想が歌われていると思うことにしたい。 理想的な異性、理想的なファン、理想的な伴侶、…。 理想的「母性」の前に立てば、誰もが頭を垂れる。 その近しさと遠さ、親しさと疎さに、心を静める。 あきらめながらもなお願う人を前に、 そろそろ口をつぐむべき時だろう。[ー、] 【わきみち】実母を歌ったものだと聞いている。上ではあえてそれを離れた。「信じてる人」、「かわいいあの人」の意味が大きく変わるだろう。 [忌野清志郎][口笛][MAGIC] 【忌野清志郎さんの歌・目次】
by gyou-ten
| 2005-06-10 07:32
| 忌野清志郎
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