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「俺たちは先に進まなきゃならねぇんだ」 歳
「今まで死んでいった奴らはどうなるんですか!」 総司 これは武田観柳斎を赦した時のやりとりです。 幕臣となった以上、主君は徳川家ですから、組の都合だけで隊士の切腹を命じることはできなくなったというのはうなずけます。「今なら山南さんも赦してくれる」というのも理由のないことではないでしょう。 しかし、頭では理解できても、心情としては納得できないでしょう。 幕臣となり、法度がなくされたこと。これこそ、新選組内部にもっとも深く影響する外界の変化です。近藤さんが中心となるように土方さんが作り上げた、その意味では外界と遮断された自律的な組織が、ついに外界とつながってしまったのではないでしょうか。 例えば、名前。島田魁が「新遊撃隊御雇」に不服なのは、単なる名前への愛着だけでは済まされない、自律性喪失を惜しむ気持ちが感じられます。「甲陽鎮撫隊」ならなおさらでしょう。このダサさが、勝先生の才能です。 また、脱藩して新選組に加わった四人の監察方隊士が、幕府に召抱えられたのでは先の主への面目が立たないと抗議していましたが、うなづける話です(第41回)。どこにも属していないから隊士を募ることができました(会津藩御預ですが、会津藩士ではありません)。そんな「己の筋を通そうとしたに過ぎない(by 勇)」四人が行き場を失なったのは、新選組内部、隊士の心中に法度が生きていたからです。「四人まとめて斬っちゃえばいい」という総司くんの発言も同じです。彼らに「文を残してきたのがまずかった」と言わせることで、武田観柳斎の助言が間違っていた印象が強まりますが、法度が新しい立場と相容れないことを隊士に徹底しなければいけなかったのではないか、などと思いました。 その武田観柳斎は鍬次郎くんに殺されます。鍬次郎くんは観柳斎を斬り、伊東甲子太郎を斬っています(第43回)。近藤さんがどんなに頑張っても、彼の行動が問題を生んでしまうのは、彼の中に法度が生きているからです。沖田くんが独断専行すると、鍬次郎くんになるのだと思います。 まだあります。近藤さんが伏見街道で狙撃された時、土方、原田、永倉、斎藤の四人が昂奮します。幕臣となったのに、命令に背いて持ち場を離れようとして井上源さんにたしなめられます(第45回)。これも新選組の名残りです。 雨の勝沼で永倉さんが抜けたのも、永倉さんの心得違いゆえでしょう。幕命で甲府にいなければならないのです。近藤さんだけでなく、永倉さんの立場も変わっていたことを彼は自覚しておらず、自由な浪人の気分のままいたのです。「あなたの家来ではない」という発言に、近藤さんが切腹を持ち出したのが惨めでした。「総裁勝海舟の命令だ」「将軍の家来だ」と言えなかったのは、近藤さんがまだ「大久保たけし」になりきれていなかったからではないでしょうか。 「えらそうに血なんか吐いちゃって、ばかみたい」という啖呵が江戸っ子なみつさんでしたが、27歳で死んだという総司くんはやはり惜しかったですね。佐久間象山説では、30歳から日本の国のことを考えるので、ホントウにあと少しでした。 そしておそのさんは殺されてしまいました。 最期に「宇八郎さま…」でした(涙)。[ー、] 「メリケンではさ、ロマンチストってんだよ」 海舟 「ロマンチ…」 鉄舟
by gyou-ten
| 2005-09-07 08:02
| 仰天!、な「新選組!」
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