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鼻息男って?
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さっきまで読んでいた本に、詩の定義の話がありました。
辻征夫『ロビンソン、この詩はなに?』(書肆山田)の25頁。 なるほどそういうことだなと、思って。 それは、ロバート・フロストという人の言い分。 「人がそれを忘れたら貧しくなるようなものを思い出すひとつの方法、詩はそう定義してよいだろう。」 これを辻さんは、 中桐雅夫『詩の読みかた詩の作りかた』 という本で知ったのだそうです。 忌野清志郎さんは、詩と同じなのですね。 世に言う詩よりも、あんなにはっきりとした、詩。 生きる詩。 ロックって、親切です。 声に乗せて、唄うから、ことばは沁みます。 印刷された文字は、ひとりでには音にならない。 その点、忌野清志郎さんは殊に親切でした。 後半になると、親切の度合いを増していきました。 歌を売り出すと、取材といって、 出したその歌の説明を求める人たちがやってきます。 そんなのに答える必要ないのに、答えてました。 歌詞を聴いてない人がたくさんいるっていうことみたいです。 それも楽しみ方のひとつだし、否定されることじゃないし、 なんていう人もたくさんいそうです。 そういう現実に、清志郎さんは応対していたと思います。 唄っているのに、歌詞がついているのに、 忘れたら人が貧しくなるようなことを唄わない「ロック」は、 それを聴く人の気づきづらいどこかに、 詩を隠そうとしているのでしょうか。 なんのために? それとも、まがいもの。 詩はロックより売れません。たぶん。 忌野さんも他の「ロック」より売れません。たぶん。 詩とロックを総動員しても、忘れてしまう。 そんなに人は忘れやすい。 まがいものを聴いても思い出せませんから、 人は忘れてしまって、たいてい貧しい事態に陥ります。 何度も清志郎さんの歌を聴きたがっている鼻息男は、やはり貧しい。 これからも、思い出すひとつの方法として、 鼻息男は忌野清志郎さんの唄を聴きます。 多くの人とたぶん同じように。 でもいつか、聴かなくても、忘れないようになりたい。 それは大それた願いでしょうか。 そう言ったら清志郎さんはどう返すでしょう。 夢は大きい方がいいとしても、 それはそれとして、俺の歌も聴けよ。 聴きます。聴きたくなるはずです。 でも、聴かなくても平気にも、なってみたい。 そういうことを教えてもらったと思ってるからです。 「たくさんの、勇気を与えてくれた皆さん」って、 文庫の双六問屋のあとがきの最後に書いてあります。 忌野さんに勇気が要ったってこと、 たくさんの皆さんのなかに、ファンも入るかもしれないこと、 鼻息男は千羽鶴をあげなかったってこと、 のんきに構えていたなってこと…。 いままで、聴き漏らしたり、読み飛ばしてたコトバを、 もういちど探して、向き合って、考えます。 青山で約束してしまいました。 手を合わせるなんてできなかった。 また、独りぼっちになったみたいです。 でも約束ってのは、自分自身とするものだから、 忌野清志郎さんをダシに、歩き出そうと思います。 大丈夫。もうしばらくしたら、きっと大丈夫です。[ー、]
by gyou-ten
| 2009-05-13 11:50
| 忌野清志郎
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